-大澤龍雄氏について-
経 歴
大正 7年 6月15日 旧安蘇郡常盤村牧に生まれる
昭和 6年 4月 旧制佐野中学(現・佐野高等学校)へ入学
11年 3月 卒業
同 11年 4月 日本大学へ入学
同 15年11月3日 3000m障害で日本新記録樹立
同 16年12月 日本大学繰り上げ卒業
同 宇都宮36部隊へ入隊
同 19年 9月 パラオ諸島アンガウル島で戦死 満26才
主な戦績
・日本選手権3連覇(昭和13~15年)
・日本学生対校準優勝
・箱根駅伝5連覇(昭和12~16年※区間新記録樹立含む)
・東亜大会優勝
-大澤駅伝の発祥-
※小野操氏(スパルタ俱楽部第二代会長)随想「陸上競技の発祥と郷土史-スパルタ俱楽部の誕生と大澤駅伝-(平成元年)」から一部抜粋
"県内に在住する民間陸上競技者は、昭和初期における曽ての亜流の人達で組織を持たぬ純粋な愛好者ばかりだった。
佐野を中心とした地域団体を作る決心をした私は、独断ではあったが躊躇することなく佐中陸上部第一期卒業生が残してくれた同窓紙“スパルタ”の冊子名を拝借し「佐野スパルタ俱楽部」と記名して県陸協に登録加盟した。
(中略)
国民に窮乏と苦難を強要し、無数の人名を犠牲とした四年間の戦争も、敗戦という汚名を国民に背負わせて終息した。
この犠牲者の中に、同友大澤龍雄君の名も刻まれていた。
三千障害競走の日本記録保持者であり、大学箱根駅伝ではその立役者として活躍した彼が南海に散華したことは、惜しみても悔いの残ることであった。
彼は愛すべき我が俱楽部であり、将来之の希望を繋ぐ場でもあった。
彼の戦死を哀心より悼み、その業績を後世に迄顕彰する方法を考えた。彼が箱根駅伝で沿道を力走する強烈なイメージを忘れることができなかった私は、彼に贈る餞として、「大澤龍雄追悼駅伝」と銘打って、彼の生まれ所在往復の表記大会を決行した。
駅伝も、その規模の大小さることながら、開催の意義着想と、歴史的継続性こそ重要視されるものと思う。
この大澤駅伝も、その着想が純粋であったればこそ、純真な我が俱楽部の手で守られ、その灯は伝承されて今日に至っていると確信している。"
大澤駅伝は、大澤龍雄選手の戦死を悼み、小野操氏を中心とする佐野スパルタ俱楽部員の努力と、駅伝コースに隣接する市町村民の絶大な理解と支援により、昭和26年1月14日「大澤龍雄追悼駅伝」として始まりました。第1回大会には、大澤選手に憧れを抱き、第2・第3の大澤選手を目指す選手で編成された県内20チーム(一般2・高校4・中学14)が参加しました。
第44回大会から追悼行事から記念行事へ(大会名称を、現在の大澤駅伝大会競走大会に変更)、第45回大会からは佐野市の主催行事(佐野スパルタ俱楽部共催)へ移行するなど変遷を重ね、令和8年2月には第76回大会を迎えました。